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ヨーロッパへの想い(その2)ECウィーク:国際都市方式第一幕第一場「愛とロマン」の書道

さて、事前の準備も万全に。その日がやってきました。まず第一幕、場面はホテル南明荘。残念ながら今はもうありませんが、ホテル白菊よりちょっと上の同じ側にあった老舗のホテルです。そこの社長さんが国際都市の会員さんだったこともありご協力を依頼。いろいろ無理な注文もあったでしょうが快く全面手金協力をいただきました。

>南明荘では昼食をかねた交流会の前にイベントを二つ行いました。

>二幕市一場は「書道」。別府大学教授の荒金大琳先生にお願いしました。一幕二場ともに僕通訳の重責をおおせつかりました。

>大琳先生のはデモンストレーションはわれわれ日本人でも度肝を抜ksれるものでした。

>美しい庭園に囲まれた和式の建物に、所狭しと書道関係の道具が並び、下がり、おかれてさながら博物館的様相。

>大琳先生、開口一番に「私の書道のモットーは『愛とロマン』です。」小手先の技術より「心」が肝心という先生のモットー。これがまた通訳なかせなんですよねえ。"Love and Romance"だとなんか湯の町別府の安っぽい恋愛恋愛物語。それもなんかポルノっぽい。

>事前に何度も何度もお話を 伺って。"Dedication to Art and Spirit of Adventure”というのが僕の訳。ヨーロッパのかたがたがなるほどとうなづいて下さるのを大琳』先生自身、わが意を得たりと笑み満面でした。

>最後はゲストたちによる「実習」のコーナー。イタリア女性のダイナミックな、大きな筆を使っての「心」には本当に心打たれました。
# by parksongya | 2005-11-07 06:13

ヨーロッパへの想い(その2)ECウィーク:第二部ECが別府にくる!

厳しくもやさしい吉本さんの指導の下、いろいろな「常識」や「しきたり」や「社会的ルール」といった自分がそれまでにはあまり注意を払ってなかったことを少しずつミニつけていたころ、ボランティアグループ「国際都市別府を考える会」(以下「国際都市」と略します)に大きな話が持ち込まれていました。

それまで日本政府を通じてのみ日本との関係強化を図ってきたEC委員会が方針の大転換を見せてきたのです。「国とだけでは拉致があかない」ということで、直接地方にアプローチしようというわけです。

そのとき手を上げたのは岐阜、山形、そして大分でした。

各地でヨーロッパのビジネスマンや研究者を招き、地元と交流する「ECウィーク」を開催しようと言う試みです。

大分ではそのころ平松知事(当時)が一村一品に続き、国際化を大きく掲げ要素しテいる最中でもありました。県として受けることになり、実際の運営は県内各地の地域おこし団体に任されることになりました。

そのとき。まさにそういう方向を目指していた「国際都市」に別府地区のイベントが任されるといウことになりました。

2泊3日の間、どのようなことで、どのようにしてヨーロッパから見えるかたがたと市民の交流
を図るか・・・吉本さんの頭脳とハートは急回転を始めたのです。
# by parksongya | 2005-11-06 18:45

ヨーロッパへの想い(その2)ECウィーク:第一部吉本浩子さん

青年海外派遣から9年後1986年のことです。僕は、そのころ「国都市別府を考える会」というボランティアグループに入っていました。このときの代表「吉本浩子」さんとの出会いは本当に縁というものを深く感じるきっかけになりました。

僕が倒れて熊本でに一ヶ月の入院のあと別府に戻り、不安から欝へと移行していったとき、福岡から何回もきてくれて入院の手続きから前のうちのものの整理までありとあらゆることをしていただいた「恩人中の恩人」です。

それまで、そこそこ能力はあるけど、社会性に欠け、オタクっぽい変人とみなされていた僕を、ある意味でよく見てくれていろいろな可能性を引き出してくれました。勿論そのための「躾」も十分に。

とにかくよく、しょっちゅう話しました。夜中に何時間も電話で。気がついたら明るくなってたってことも何回も。

実際、その後県関係の通訳が継続してできるようになったのも吉本さんのおかげです。

地元の雑誌「アドバンス大分」で「天才星野と売り出しの母」という記事で一躍認知されるようになりました。
>一番の理解者です。こういう理解者がいるって本当に幸せなことだと思います。
# by parksongya | 2005-11-02 23:48

11月1日(火)ヨーロッパへの想い(その1)青年海外派遣

>そろそろ季節相応の感じになってきました。とはいっても南北に長い日本のこと。北海道ではもう冬の始まりでしょう。沖縄ではどうなんでしょうか。世界的なスケールだと、ロシア辺りではもう完全に冬でしょう。チャイコフスキーの「四季」では11月はもう「トロイカ」なんですよ。

>もう三十年近く前のことになりますが、総理府(今の総務庁)の青年海外派遣事業でヨーロッパを訪れたのはちょうど一ヶ月ほど前の10月でしたが、モスクワではもうかなり冬近しって感じでした。

>そのころのソ連はまだまだ雪解けどころか吹雪の真っ最中みたいなときでしたから、驚きの連続でした。

>空港に着いたとたんあっ、これは空気違うって感じました。銃をもった兵士がビシッと警戒してる、その中を通るだけで緊張してしまいました。

>入国も税関もおよそ愛想なし。You are NOT welcomeってとこかな。

>でもこの目でそのころのソ連の実情の一端を見ることができたのは今考えてみると本当に貴重な体験です。

>スペインではがらっと雰囲気変わりました。

>マドリードでもセビリアでも。

>特にセビリアでは「カルメン」に出てくるタバコ工場だったとこが市役所になっていて・・・そこにたっただけで感激。毎晩フラメンコ見物。闘牛はついに縁がなかったみたい。

>フラメンコも大きいところだとショー化していて、小さな、それこそ「小屋」って呼べるようなとこでは熱気むんむん。

>フランスではニースとパリでした。ニースではモナコに行って一攫千金・・・はなりませんでしたが明るい地中海やピカソの家が印象に残っています。

>パリはもう晩秋の雰囲気がたっぷり。♪「枯葉よ」って感じ。

>このようにして始めてヨーロッパを訪れたときには、仕事でEU(当時はEC)とかかわることになろうとはおもってもいませんでした。
# by parksongya | 2005-11-02 02:51

10月31日(月)今日から再開です!!・・今日も8km

お籠りは以外に早く開けて今日から復帰です。皆さん、改めてよろしくお願いします。

さて、最近俄に運動を始めました。といっても、僕は自慢じゃないけど(全然自慢にならない!)、アイススケートがやっと人並みにできるくらいで野球もだめ、サッカーもだめ、鉄棒?許してぇ。逆上がりはおろか懸垂もできないんだから。でも歩くことは全然苦になりません。

そういえば短距離はぜんぜんだめだったけど、マラソンは意外と順位よかったもん。

この何日か毎日kmの単位で歩いています。もともとは歩くことというより、祈りの場を訪れていくのが目的でした。

ひとえにあんちゃんのおかげなのです。あんちゃんもう一度ありがとう。祈ることを教えてくれました。

お墓から始まって神社仏閣へ。

病院のすぐそばにある吉弘神社。ちょっと歩くと石垣神社。境川を下っていくと別府よりにある天満神社、別府の氏神さま八幡朝見神社。宮司さんは中学の時の先輩で、20代のころ、僕が道に迷っていたとき何にも言わずに境内の一軒屋に住まわせてくれて、伊勢神宮まで雅楽研修に行かせてくれた恩人。篳篥で超天楽がふけるようになりました。

こういった思い出の場所も含めてお宮に行くとなんだか不思議に気持ちが治まるのです。

この散歩、僕の病気にもいいんです。ここのところ栄養過多で体重が増えてきて肥満の領域に達してきて運動をするようにドクターから言われていた矢先でした。

今日病院のOTのあと、吉弘神社でおまいりをして、駅に写真を出してあったのをおもいだして、よしいこう、勿論歩いて。駅だと祈り場がないなあと思いつつも、気の向くほうに歩いていきました。

荘園に越す前に住んでいた餅が浜あたりでJRの線路脇に。これに沿っていけば自然と駅に着く。境川のところで道がちょっと途切れ川沿いに少し上って橋を渡ろうと堤防に上がって、山の方を向くと小さなお地蔵さんが。ぼくにとってあんちゃんはお地蔵様のようだと思っていたので、ここでしゃがんで祈りをささげる。橋を渡り駅のほうへ向かうと古い民家がずっと並ぶ一帯に。僕が子供のころとぜんぜんに変わってない。

ガード下が駐車場になっているところを抜けると別府駅。写真をうけとって帰りも歩き。今度は富士見どおりをまっすぐ上がって市役所の下を右折、斜めに上がるバスの通る道。

帰り着いたのは病院を出て5時間もたっていた。足の裏は『歩いた、歩いた」っていってるけど
気分は爽快。今度から万歩計をつけて歩数をはかってみよう。
# by parksongya | 2005-10-31 17:52




無限宇宙で光を発信したいホシノハカセのブログです
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